当時のスナックには、結構入り浸っている厳つい人が多く、私もそう言う“如何にも”という人と同じ空間で同じ時間を過ごす事に慣れるのに時間がかかった。
ある晩、腹ごしらえをし、“スナック”に入ると奥のボックスに、その方々はおられた。
“如何にも”の方々だ。
店の女の子を沢山はべらせる4人組。
大柄の方2人、小型1人、髭を面の長身1人だ。
支店は、その日給料日と言う事もあり、みんな胸のポッケには4、50万の札束が押し込まれていた。
その分、気も大きくなっていた。嫌な予感はしていた。
我々が入ると賑やかだって奥のボックスが一瞬「シーン」となった。
鋭い視線が奥のボックスから注がれる・・・。
支店の中で最も気の短い係長が、「ママさん、12人やけど無理?!」
ママさんは、一瞬、視線を奥のボックスに向け、小声で「ごめん、ちょっと難しいわ」と。
係長も状況を察して、「じゃあ又にするわぁ」と。
すると奥から「ここ空けるでー」と。
”如何にも”さんから気の無い声だ。
無視するわけではなく我々が引き上げようとしたその時!
「気ぃー悪いなーお前らー!!」と、大柄の如何にもさん。
支店長は無言で人差し指を奥のボックスに向ける。
それを合図に我々12名と“如何にもさん”達とドンチャン騒ぎが始まるのである。
「おんどりゃー!!」罵声が飛び交い。
「ガシッシャーン!!」グラスの割れる音。
「ピューン!!」ボトルが飛ぶ。
ビール瓶が大柄の方二人のお頭を直撃!!
お二人とも床で静かにおやすみになられる。
長身の方は、ソファーごと抱えあげられ、お店の外に投げ出され、外が気に入ってか入って来られない?!
小型さんは、何か急用でも出来たのか“池のめだかさん”の様に、人の間をすりぬけ、暑くてのぼせられたのだろう
鼻から血を流しながら、「覚えとけよー」と捨てゼリフ。
外に走って出られた・・・。
一件落着し。
いくらか店にお金を渡し違う店で飲み直しで有る。
これは、大昔のノンフィクションである。
今思うと、非常に恐ろしい出来事であった。
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尊敬する人物との出会いNo,3
「尊敬する人物との出会い」、飲み屋編である。
前編でも書きましたが田端支店長は、非常に豪快であり一本筋が通っておられる。
仕事もさる事ながらアフター5でもその豪快さは、変わらない。
今でこそ、休みの前日である金曜日は“花金”一週間の終わり!
翌日は休み!!と、言う事で同僚上司との飲み会が集中するが、当時の大阪支店では週一回の飲み会などあり得ない。
飲み会は、必ず毎日あり一日の締めくくりの行事であり、参加者はその会に出席できる事を誇りとしていた。
なぜか?!
参加者は全員、現場を駆け回りオーダーを取ってきた社員に限るからだ。
ボウズは、参加できないしきたりになっている。
当時を振り返るとこうだ・・・
営業を終え現場から支店に帰り夕礼を済ませ、当日の現場で出たお客様からの反論に対しての応酬話法を身につける為に
ロールプレイングを行う。
その後、翌日の営業準備を終え業務完了となる。
その頃になると、支店長が社員一人一人に声を掛けて回られる。
「おー、ご苦労さん!!」
「稲野、今日の結果は?!」
「3.4ポイントです!!」
「そうかーメシ行くか?」
「ハイ!!」と言った具合である。
因みに、3.4ポイントとは、幼児向けの知育玩具フルセット(当時308,000円ちょい?) の、ポイント数値である。
これがボウズとなると、一変する。
「おー、ご苦労さん!!」
「稲野、今日の結果は?」
「すみません、ボウズです」
「なにー!!ボウズ?!」
「・・・」後は、相手にされない。
この無言が恐怖なのだ。
おおよそ、事務所を一回りされ事務所を後にする。
ホームグラウンドは、東通り、兎我野町。
まず、“焼肉の大道門”で腹ごしらえをしてその後、スナックへ繰り出すのだ。
その集団の塊は、一種異様である。
肩に背広をひっかけて、両手はポケット、磨き上げられた白のエナメルの靴先に夜のネオンの光が鮮やかに写る。
先頭を歩く支店長だ。
その後に、同じ様な格好をし、浅黒い顔の目をギラつかせた社員が15人程続くのだ。
その塊が、店で繰り広げる出来事が兎に角すごかった・・・。
今考えると笑えるが・・・。
No,4につづく
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尊敬する人物との出会い
私自身事をお話しする前に先にご紹介しないといけない人がいます。
その方は、私が社会人になって初めての上司であり、私の仲人であり、オールコーポレーション、ラヴェリオの代表取締役社長である田端彰氏である。
田端社長との出会いの場面からご紹介致しましょう。
私が、田端社長と出会ったのは今から37年程前になります。専門学校を出てデザイン関係の仕事に就く事を目標に就職活動を行っていた時に新聞の募集欄の中で一際大きく、しかも“やる気のある人大募集”と書かれた出版社の募集広告がありました。
その会社こそが、田端社長が当時在籍されていた中央出版 大阪支店だったのです。
“やる気のある人”の文字に何かしら惹かれるものがあり、即電話をし、面接までこぎ着けたのでした。
出版社の面接ですし編集スタッフへの応募だったので、当然、学校でつくった自分の作品を持って面接に臨んだのですが面接官は最後まで私の作品を見ようともせず、しかもこう言われたのです「希望部署はあると思うが、まず2年間は営業をして頂き、その後希望部署へ配属となる、どうだね、頑張れるかね?」
私は、二つ返事で「頑張ります」と答えました。希望部署よりも まずは、就職することが最優先だったからです。
どうにか面接を終え自宅に帰ると電報が届いており本日面接を受けた中央出版からで“オメデトウサイヨウケッテイイタシマス”という内容でした。とにかく嬉しく、何とか親に顔向けができると言うのが正直なところでした。
また、当時は「合格すれば電報で通知が来るのか・・・」と思い込んでおりましたが、そうでもない様で当時でも珍しい通知方法で、そんな粋な計らいをされた方こそ当時 大阪支店長であった田端社長だったのです。
当時田端社長は31歳で何故か眼がギラギラされていたのが印象的でした。なぜギラギラした眼であったのかは後の初出勤日に理解することが出来たのでした。
初出勤当日、就業時間より30分前位に出勤した私は事務所に入って異様な光景を目したのです。先輩社員の方々が一人またはペアになって「こんにちは!!」「私、中央出版の・・・」と何かの練習をしていたのです。
そう、それは私が始めて見た営業の為のロールプレイングだったのです。
そうこうしていると朝礼が始まりラジオ体操・理念の唱和の後、3日以上オーダーが取れていない者を前に立たせ前日の行動実績の反省を言わせた後、係りの責任者が気合を入れるために前に立たされた社員の頬を思い切りビンタしているではありませんか、しかもその横で田端支店長が「しっかりせんかー」と言わんばかりに目をつり上げ鬼の血相で立っておられるのです。
ギラギラした眼は、こう言う事だったのです。「ここは、なんて恐ろしい会社なんだ!!」と思ったものでした。
勿論、私も2ヶ月後には同じように洗礼を受けました。
しかし3ヶ月も過ぎた頃には全てが当たり前に思え人間はどんな環境でも慣れ、順応性が有るんだなぁーと当時我ながら関心したものでした。
つづく(長くなるので又明日にでも・・・)
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